『夢から醒めても この手だけは離さない』


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 白塗りされた道を、私は一歩ずつ進む。
 後ろはもう振り返らない。夢から醒めても、私たちの手は繋がっている。ずっと、ずっと。
 そう信じているから。

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 あれは今からだいぶ昔、フェイク3が実戦配備される直前の話だ。

「地球は青かった」
「ユーリイ・ガガーリン。まあそんなことはいいので、異常はありませんか?」
「いんや。操縦系統には特に問題無し、かな。エンジンを切り替える。機体のほうは?」
「今のところ問題はありません。大気圏突破は無事成功ですね」

 その日、私たちは宇宙を飛行していた。
 といってもデートだとかいうロマンティックなものではない。フェイク3に付与される大気圏突破能力、および突入能力を検証するためのテストパイロットとして、だ。
 打ち上げられた機体は、戦闘機単体としては異常な速度を出して無事、大気圏を突破。永遠の闇が覆った宇宙の大海を、音もなく、静かに、潜行するように機動する。見上げられればただ漂っているようにも見えるかもしれない。いや、普通は見えないのだが。

「おっけー。そんじゃまあ、突入コースに機体を向けますか」
「はい。ここまで予定通りですので、プランはそのままで行きましょう」
「ん、了解。……そういやモップでも持ってくるの忘れたな」
「チャック・イェーガーですか? まるで関係ないじゃないですか」

 ぺらぺらと後座でプリントアウトされた予定を確認しながら、操縦桿を握る後姿すら見ずに居る私に、先輩もまた、振り返らずに話しかけてくる。今日はいつになく饒舌な気がするが、それはもう一人の、女性の先輩が怪我で離脱しているからだと納得した。居なくなってから分かるものとでも言うのだろうか。あまり口が上手くない私にとっては、やはり慣れないといけない課題だろうか。

「縁担ぎだよ、縁担ぎ。暇だからしりとりでもやるか?」
「脈絡がなさ過ぎるとウザイですよ、先輩」

 大げさに肩を落とし、しょぼーんとする先輩。捨てられた子犬のような哀愁がその背中に見える。
 この人のこういうところが憎めないのだろうか。ウザイとは口で言いつつも、会話自体をわずらわしいとは不思議と思わない。もっとも、慣れていないおかげで少々しんどいのは確かだが。
 と、そこに前置きも何もなく、アラートが鳴り響いた。私は即座に自分の眼前にあるディスプレイに視界を移す。
 機体の外延をなぞった、味気のない線画の至る場所が赤、つまり危険であることを告げているのが見て取れる。

「左翼に損傷。機首、胴体、尾翼にも? 嘘、さっきまでは何も……」
「計器がぶっ壊れてたか? 拙いな。もう突入軌道に入ってる。脱出装置は?」
「ポッドの射出機構にも異常が来てるみたいです」
「人生は一歩一歩、死に向かっている」
「コユネイル。……すいません、気づかなかった私のミスです」
「悪い。流石に無神経だった。まあ、それは置いとこう。今はどうするかが先だ」

 沈黙が流れ、コンソールを叩く音だけが静かに機内へ木霊していた。ついさっきまで何事もなく会話を交わしていただけに、空気が重い。

「……死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ」

 唐突に先輩が呟く。

「なんですか、それ」
「ドゥワミッシュって民族の格言。要するに死にはしないが世界が変わるってことだな。夢と同じだ」
「そのまんまじゃないですか」

 置かれた状況も忘れて、思わず口元が緩んだ。背中越しにそれを感じ取ったように、彼も笑顔を作った。その表情は見えないが、それが手に取るように分かる。

「そうそう、その笑顔。リラックスしとけ? 絶望してても何も始まらん」

 安心できる声。その直後に、機体は地球の重力に捕まった。
 引き付けられる強い力。次第に、機体は加速していく。
 眼前の青い地球が、赤く染まった。

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「俺がお前を、護ってやるよ」

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 そして今、私は白塗りの廊下を歩いている。
 結論から言うと、私は助かった。脱出装置を使わず、落ちる機体から生身で海へと飛び込んだおかげで肉体はぼろぼろだったりしたが。
 今ではその治療を機に新しい身体、義体へ切り替え、新しい場所でパイロットとして活動している。胸には真新しい部隊章。たった今受け取った、新しい世界への鍵。
 ……あれ以来、先輩とはあっていない。病室は流石に別だったし、何より義体へ切り替えたことで、退院の日取りにずれが起きていた。
 新しい身体での、新しい一歩を踏み出す。
 足取りが軽い。身体を新調した、というのもあるのだろうか。そう思うと若干複雑である。
 考えながら歩いていると、向かい側に人影が現れる。3人の男性。制服から見て宇宙軍、スターファイターのようだ。
 何をすると言うわけでもなくすれ違う、寸前。私は驚愕に眼を見開き、顔を上げた。
 不意に、3人のうちの1人が、あの人が、何も言わずにウィンクを私へ投げたから。
 何かが頬を伝うのを感じた。思わず2、3回瞬きをしてその姿を確かに見る。……間違いない。
 スターファイターたちが通り過ぎる。私は、気づいたときには振り返り、叫んでいた。

「先輩!」

 あの人が驚いた顔で振り返る。

「すぐ行きますから! だから! 2番機は空けておいてください!」

 自分の中で精一杯の言葉。ほかにも言いたいことは山ほどある。山ほどあるが、それは追いついたときにちゃんと言おう。そう、追いついたとき。
 髪をなびかせて振り返り、白塗りされた道を私は一歩ずつ踏みしめて私は前へ進む。最後に見せた驚きの表情は、たぶん、忘れない。
 隣に居た日々が終わっても。甘かった夢から醒め、戦場が目の前に広がったとしても。私たちの手は離れていないから。
 後ろはもう振り返らない。追いつかなければいけないから、そんな余裕はありはしない。
 どこからとなく噴きぬける、柔らかい風。それが、私の翼を包み込み、飛び立つための力を与えてくれた気がした。




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