魔法医

魔法医

魔法医とは


魔法の力を借りて人を治療する医師を指して、魔法医と言う。
彼らの、科学的な医療技術とは異なるアプローチの医療技術は、数多くの人を救うこととなった。

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玄霧藩国の医師達の中に、今までと違う治療方法を使う者が現れた。
彼らの存在は驚きをもって迎えられ、そして藩国の医療体制に変化をもたらす事になる。

ここまでを人に説明したとき、よく出てくる疑問がある。
玄霧藩国が森国人であるからには、魔法で治療を行うのは自然とも言える。別に驚くような事ではないのではないか? というものだ。

その指摘は正しくもあり、的外れでもある。
なぜならば、これまでの医療関係者たちは皆、科学技術による治療手段のみを使ってきたからだ。
現在の玄霧藩国で宇宙開発が大きく進んでいる事を見れば判るとおり、国風と技術レベルは必ずしも同一とはならない。
だからこそ、魔法医という存在は新しく、センセーショナルな存在として認識される事になったのである。

さりとて、なぜわざわざ別の技術を使うのか。今ある医療技術では不足なのか。

結論から言えば、不足というわけではない。現行の能力でも医師達は十分に人を救い、活躍もしている。
実際のところ、現時点で魔法医と呼べる人材は藩国内にもほとんど存在せず、今後もそう数が増える見込みはない。
既存の医師達の方が数は多いし、彼らがいてこそ、藩国の高い医療水準は保たれている事は間違いない。今後もそうだろう。


魔法医療


元々理力系が強かった玄霧藩国の一部で、土着的に伝承されてきた医療体系。
術者の精神状態の影響を強く受ける側面もあるが、基本的には明確な理論とルールを持つ、立派な技術である。
習得には一部で精霊と呼ばれる存在との対話――見る、聞く、話す――という資質が求められるが、これを持つ者が非常に希少であるため、固有能力と見られる事も多かった。
これを修めた者は体に刺青を施している(ボディペイントを描く事もある)が、その理由についてはよく分かっていない。
この模様を施すと対話がしやすくなるとか、魔除けのようなものだと言う話もあるが、いかんせん普通の人間の目には相手が見えない為、確認のしようがなかった。
彼らは伝統的に密林で修行を行なうが、これは精霊が自然が豊富に見られる場所に集まるからだとも、外界の雑事を切り離すためだとも言われている。

修行の場


絶対数が少ない魔法医


魔法医の人数が非常に少ない理由については、まず習得の難しさが挙げられるだろう。
純粋に科学的医療を学んできた者にとって、分類こそ同じとはいえど、別分野とも言える学問を一から修めるのは困難を極める。
医師になるだけでも尋常でない努力がいる以上、それより更に上を目指すならば、ある程度は素質も求められる事になるからだ。
そして――これが何より大きいと考えられているのだが――魔法医療を完全に修めるには、ある種の儀式が必須であり、それを受けるには所謂「相性」を必要とした。
それはその者の集中力・精神力が原因であるともいわれるし、それ以外のまだ名前のない何かであるとも言われていたが、どちらにせよ、この儀礼を通過できなければ魔法医としての道を歩めなかったのである。
理由は様々だが、ただ一つ間違いない事実は魔法医としての力を得られる者が非常に少なかったと、そういうことである。

だが、それだけでは足りない事がある。
科学的治療では手が届かず、外科的手術や薬物投与で回復が望めなければ、医師達は患者を見守ることしか出来ない。
患部を切除しようと開腹してから、内部を見てなにもせずに縫い直す。ということも、手術台の上では何度か見られた光景だ。
医療技術がいくら発達しようと、助けられない人は出るのだ。それを目撃し続けるのは、医師達の宿命であり、悲しみであると言える。
だから、もし今までと違う技術を使う事で助けられる人を少しでも増やせるのなら、そこに研究する意味はある。価値も、意義もある。
方向性が今までと違う事、新しい技術を普及するには非常にコストがかかる事、習熟が困難である事はどれも、伸ばすべき手を伸ばさない言い訳にはなっても理由にはならなかった。


魔法医療の導入


きっかけ・ヒントは藩国の片隅に存在した。
外との関わりを殆ど持たない、ある閉鎖された集落には、昔から代々受け継がれてきた治療技術があった。
科学的医療などとは縁も所縁もない、時代から取り残されたそこには、それ故か既存のものとは系統がまったく違う医療のあり方が存在したのである。
そしてそれは、部分的に最新技術すら上回る程の治療効果を見せていた。

発見したのは学会で異端と呼ばれている者だったとも言われているし、国の研究者団だったとも言われている。
そのどちらであれ、彼らは医療に新たな可能性を見出したのだ。そしてそれを、人を助ける事に活かしたいと考えた事だけは間違いない。
元々、医療を修めるだけの能力を持ち、研究熱心だった彼、または彼らである。
一から新しい学問を体系化する事は非常に困難を極めたが、それでも一部を除き、やってのけた。
或いは元来の魔法医療技術そのものが(文献化などの不足はあったにしろ)立派な技術体系として完成度の高いものだったからかもしれない。
体系化において、唯一「仕上げとして集落の長の血脈が受け継ぐ儀礼を受け、認められなければ魔法医療が使えない」という点の問題は残ったが、これにより魔法による治療の術を会得する事は、最低限不可能ではなくなったのである。

とはいえ、魔法による治療も万能ではない。
“手当て”と言われるようなヒーリングなどは確かに高い成果を上げられたが、外科治療に劣る場合もあったし、術者の疲労が大きいという問題もあった。
使用する技術の問題で物理域による制限も大きく受けたから、それのみに頼って治療をしているだけでは、やはり助けられない者は多かっただろう。
結果として、科学的医療と魔法医療は用途に応じて使い分けられる事となり、効率は落ちるものの、より治療の難しい者を助ける事をも可能とした。

既存の最先端技術を使う従来の医師達と、新たなる古式技術を用いる魔法医。両者によって、魔法医となった玄霧藩国の医師はより多くの人を救う事になる。
尚、両技術のどちらも修めた人物は居るにはいるが、前出の通り極めて少なく、国の中でも数えるほどしかいない。


魔法医の様式


基本的にはこれまでの医師スタイルと同じ格好をしている。
診察時には白衣を着るし、文献をあさるときは片眼鏡を付ける。魔法を使わず手術する時にはゴーグル・マスクなど、手術服もきっちり着用の上で臨む。
一部風変わりな者はマントを着て出歩いたりもする。
(更に風変わりな者は、その各種装備や道具類を魔改造して便利かつ奇抜な代物にしてしまっていたりもする。詳しくは、マッドサイエンティストに関連する記述の一項を参照のこと)
また、魔法医としての技術を習得する者は国内においても非常に限られた存在であるため、大抵の場合、専属の秘書を連れている。それだけ多忙であるともいうことか。
(その秘書達が軒並み美しい外見をしている理由については、取り立てて説明するまでもない事だろう)
手段はどうあれ、やってる事そのものはこれまでとまったくと言っていいほど変わらないので、外見的な違いはといえば、魔法医療を見につけた証としての刺青(か、ボディペイント)ぐらいだろう。


TLOの封印


魔法医療と科学医療。
両技術を融合し、新たなる技術を編み出す事も、考えられはした。
共存ではなく、合一による新しい治療方法の開発は、確かに高い成果を上げるかも知れない。
しかし、魔法医療を習得した者にそれを実行したものはおらず、研究資料は封印された。
藩国政府からも統合研究禁止の政令が公布された。
何故そのような法が講じられ、研究者も乗り気ではないのか。その理由の一つに、以下のようなものがあった。

複数の世界の技術を統合させる事は、その世界の技術レベルの限界を取り払ってしまう事と同義になる。
結果として生まれるものがどれだけ優れていたとしても、それは(悲しいことだが今のルールでは)『ありえてはならないもの』であり、存在そのものが非常に大きな危険を孕むのである。
玄霧藩国は、魔法医療を修める際の様々な条件と、一定以上の知識・経験・技量を持つ者、それに追加して魔法医療との相性によりこれを防ごうとしている。
記録上は研究者団によって開かれたとされる魔法医療の道だが、資料の封印などから実際はほぼ閉ざされていると言ってよく、また独自研究による魔法医療の習得は、前出の集落の長の儀式の下りの再現が出来ない以上、ほぼ不可能領域とされているため、更にその先に存在するであろう技術統合は回避・封印されている。

記録上は研究者団によって開かれたとされる魔法医療の道。
だが、資料の封印などから実際はほぼ閉ざされていると言ってよく、また独自研究による魔法医療の習得はほぼ不可能領域とされているため、更にその先に存在するであろう技術統合は回避・封印されている。


道行く先


そこまでして得られた結果も、数字で表すとそう多いものではない。
魔法医療を導入した事で得られた結果というのは、つまるところ100人のうち80人救えたものが、90人救えるようになった、ということで、救えない者が存在するという事自体には変わりがなかった。
効率が悪い、というのはつまりそういう事で、コストに見合った効果を上げられているかと言えば、決してYESと答えられないのが数字上の回答だろう。
しかし、目の前で苦しんでいる人を見て尚、数字で物を語れるだろうか。
親しい者の死を目の当たりにして尚、他人事のように話す事はできるだろうか。

否である。断じて否である。

人の死と悲しみに触れ続ける者が、それを無視できようはずはない。
効率は重要ではあるが、最重要ではないのだ。
では、最も大事なものは何か。
それは人の喜びである。生のぬくもりと暖かさである。誰かが笑っている姿を見る事の出来る幸せである。
人が人として生きていく限りにおいて、これを忘れる事など出来はしない。
だから、医師はそれを守るためにこそ存在する。それ以上などありはしないのだ。

そして、誰かの命を助けられるよう、その誰かが笑顔になってくれるよう。
魔法医は、その祈りからこそ生まれたのだ。そしてこれからも、生まれていくのだろう。

悲しみを喜びに
泣き顔を笑顔に
最高の報酬


文:雅戌
絵:千隼 猫野和錆
構成: アルト※クリックすると……?
色々:藩国の皆
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